川の照り

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ザ・ヴェランダ

f:id:guangtailang:20190107205508j:plain布引ハーブ園、ロープウェイ。施設の祖母の部屋で談話している時、母親が妙なことを云った。自分抜きで、祖母と私と弟の3人でハーブ園に上ったことがあるというのだ。祖母は、憶えてないと首を横に振った。近頃の祖母は弱って、ぼんやりもしているから、母親は単純に祖母が忘却したと思ったらしいが、私にもその記憶がなかった。それで、神戸から帰るクルマの中で母親にあらためて訊ねた。私と弟が何歳頃の話なのか? 彼女はふたりとも小学生だったろうと云う。私は助手席に座っていたので、その場でハーブ園の開園年を調べた。すると1991年だったので、その時すでに私は高校生、弟は中学生であった。それを伝えると、母親はそうなの、と少し考えて、じゃあ、あたしもいたのかも知れない、もっとあとか…と呟いた。そうしたところで、私にも鮮明な記憶はないのだが、4人で上ったというのが常識的に考えていちばんあり得るかたちで、祖母が整頓しているアルバムを繰れば、何処かからハーブ園の一葉が出てくるのかも知れないのだが、すでにクルマは大津の辺りを走っており、その話はそれきりになった。

【追記 1.9】

ふと思ったが、私と弟がその頃いわゆる「反抗期」で、開園したばかりのハーブ園を訪れるにしても、母親と上るのを厭って、それで祖母と3人で上った可能性はある。母親はそのあいだ新神戸で待っていたか、三宮で買い物でもしてまた戻ってきたのだろう。1990年代には祖母もまだ60いくつかで、足腰もぴんぴんしていたはずだ。誰しも身に覚えがあると思うが、反抗期(思春期)の私と弟はほんとうにでたらめで、くだらないことに拘泥して、社会性や常識を憎んでいた(中二病)。記憶が希薄なのは、毎年のように神戸に行って、各所を遊覧しており、ハーブ園の開園が取り立てての出来事ではなかったからかも知れない。

f:id:guangtailang:20190107210141j:imageハーブ園展望レストハウスから。海上六甲アイランド、その向こうに大阪の街を遠望する。

f:id:guangtailang:20190107210206j:imageザ・ヴェランダ神戸の階段の踊り場にあった天秤と文様。

f:id:guangtailang:20190107210228j:imageザ・ヴェランダ神戸を冬枯れの林越しに見上げる。ザ・ヴェランダは2018年春頃にオープンしたというからわりかし最近の話だが、去年の年初にもこの温室に来たので、その時はもっとリーズナブルな、違うカフェが入っていたのだったか。

f:id:guangtailang:20190107230137j:imagef:id:guangtailang:20190107210247j:imageハーブの家のソファに座る壮年。光線の具合で頭が禿げ上がったようになり、早晩こんな風にもなるだろうと壮年は思う。

f:id:guangtailang:20190107210306j:image有馬温泉の宿で晩飯を食う。川の上を外廊下で繋いだ奥の棟に泊まっており、そこを浴衣で歩く際は、風がびゅうびゅう吹いて夜寒に震える。神戸市街よりやはりいくらか気温も低いのだ。翌朝は雪もちらついていた。温泉街を走る黄色いクルマの車体にGOSHOBOHとあるのをみて、ああ、これが谷崎の定宿なんだなと思った。

f:id:guangtailang:20190107210424j:image去年、母親が祖母とコーヒーを飲みに訪れた時、店内を見廻し、ここ、じっちゃん(私の祖父)と来たことあるなあ、と祖母が云ったらしい。現在は神戸珈琲物語というが、母親は頑なにタカハシ珈琲と呼ぶ。その店をこのたび、私と浙江省出身のHさんが訪れるのだから、数奇なサラリーマン川柳と云えば云えるし、むしろ神户咖啡时光と云える。

f:id:guangtailang:20190107210445j:image外観。

f:id:guangtailang:20190107210501j:image一応、南京町にも行ったのだが、去年につづき素通りしただけだった。

f:id:guangtailang:20190107210523j:image大津の辺り。比叡山を見晴るかす。このSAに寄るちょっと前に、冒頭のハーブ園の話があったのだった。