川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

変哲もない一日

2018年12月2日(日)、曇り。午前中は蟄居。窓際に置いた紅いシクラメンがぐにゃりと萎れている。パジャマ姿のHさんが前にしゃがみ、枯れた花や黄ばんだ葉を捻り取る。私は電気ヒーターの傍らに寝転び、読書。

午後、それぞれ外出。Hさんは上野、私は秋葉原。特に目的もなくぶらぶらする。明日が忙しいのがわかっているから、家にいてもよかったのだが、なんとなく雑踏に紛れて歩きたかった。書泉ブックタワーで漫画を1冊買う。夕刻、Hさんからしきりにラインのメッセージが届き、晩飯は外で食べるか家で食べるか、家だとしたら何時に戻ることができるのか、油っこいもの以外で食べたいものを言いなさい、と訊かれる。最後の質問は中国人らしくないのだが、彼女は油っこい(油腻)料理をあまり好まない。といって自分でつくる料理はやはりけっこう油を使うのだが。家で食うことにして、私もスーパーに寄り、市田柿とゴルゴサーディンなるものを買う。原産国ポーランドとすれば、バルト海のいわしか。この前、ラトビア産のオイルサーディンもみかけたな。

ポーランドといえば、たまたま今日の午前中読んでいた本の中で、第二次大戦でドイツ軍により破壊されたワルシャワの街は、戦後、さまざまな資料を基に戦前の姿が忠実に、たとえば建物の罅割れまでも再現された。戦前といっても1760年代からワルシャワの街は変わっていないので、200年前の街を再現したことになる。というような記述を読んだ。ヨーロッパの街は事程左様に建築やまちづくりに関しては保守的である。翻って、日本の街は急進的にスクラップ・アンド・ビルドを繰り返し、地権者のエゴがまかりとおり、全体の景観や街並みの調和は非常に軽んじられてきた。そんな論旨だった。

昨日、柏の中国語教室を中途解約してきたが、柏駅動線の複雑さ、ごちゃごちゃした感じ(人が多いということ以上に、統一感がない、すっきりしていないということ)は典型的な東京の衛星都市ターミナル駅で、しばらく来なくなるだろうと思い、日本初のペデストリアンデッキ(1973)をぶらぶらと歩いた。

市田柿の画像が前回から連続してしまいました。レジのおばちゃんがお喋り好きで、市田柿を示しながら、「これ、毎年高くなってるわね」と言う。「そうですかね、たしかにけっこうな値段だけど」と応じると、「うちの息子も好きでよく食べるんだけど、どんどん高くなってるからそのうち食えなくなるとか言って」。ブランド化しているから、そうなるのか。

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