川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

伊達や酔狂

今朝、ふと思い出した。私の職場は今も28年前に通っていた中学校の附近にあるが、当時、隅田川沿いに建つその区立中学に、なかなか味のある顔をした初老の美術教師がいた。「長」の字が苗字についたと思うが、名前は忘れてしまった。戦前の生まれだったろう。波打つ白髪頭をオールバックに撫でつけて、大ぶりの鷲鼻をしていた。だから、ちょっとフランスのじいさんみたいな雰囲気があった。年齢的に彼は嘱託で来ていたのだと思う。

東京東部の下町、皮革加工の職人町、サラリーマン家庭の少ない町。そんな場所の学校で、寺の子女以外、勉強に熱心じゃなかった。半分以上は偏差値45位の都立の普通科や商業高校に進学し、卒業すると就職した。親に学歴がないので、子に学歴をつけようという発想が希薄な土地柄だった。寺の子女、とりわけ娘は中学から中高一貫校に進む者も多かったが、いずれにせよ高校は必ず私立に進んだ。といって、超のつく進学校ではなく、偏差値68位の学校だ。私のクラスメイトの男だと、法政とか芝とか。

それで、前述の美術教師に戻るが、そんな生徒らを相手に美術を教えていた。ごく一部の生徒を除いて美術など少しも興味が無かった。まだしも私はあった方だと思う。だから美術室は授業中の無駄なお喋りが絶えなかった。お喋りと言えば可愛らしいが、一部の男子生徒たちは乱痴気騒ぎの域に達していたこともあった。まったくもって教え甲斐のない環境だが、美術教師は学究的に温厚だったので、耐え忍んで授業をつづけていた。が、ある時、ついに怒髪天を衝く形相で叫んだ。指示棒で机をぴしぴし打ちながら、「伊達や酔狂でこんなことやってんじゃねえんだ!」。さすがに生徒たちも皆、黙り込んだ。水を打ったようになる美術室。美術教師の怒りで紅潮した頬を汗がつたい、脣から荒い息が漏れていた。

現在、年齢からいってこの美術教師は鬼籍に入っている可能性が高い。中学生には「伊達」や「酔狂」の意味がわからなかった。ただ、当時の少年漫画に「伊達」という苗字の、貌に派手な傷のある登場人物が描かれたり、同じ漫画の中でモヒカン頭の登場人物が、「伊達や酔狂でこんな頭してるんじゃねえんだ!」と、息巻く場面があるにはあった。しかし、不明のまま読み飛ばしていたに過ぎない。「遊びじゃない、本気でやってるんだ!」と叫べば、それはそのまま中学生に伝わっただろうが、その時だけのことで、42歳の私がある朝、めざましく思い出すほどの感慨は残さなかったと思う。生身の、戦前生まれの、フランスのじいさんのような美術教師が、あの時、ああ叫んだ。その言葉の物質的強度が塊となって、私の内部に沈潜していたのだ。