川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

ひとの基底

土曜日の午後。肌寒く、いつ降ってきてもおかしくない空模様。23区西部に住むK夫妻と丸千葉。この名店の誉れ高い居酒屋は僕の地元にあり、ふたりはわざわざ足を運んだかたち。といって、夫妻はもとより僕も暖簾をくぐるのは初めてなのだ。Kたっての希望で、10日前に予約の電話を入れて座席を確保した(その前の週、4日前に電話したらすでに満席だった)。午後2時の開店と同時に凹形のカウンターはどんどん埋まり、テーブルも満席。すごい繁盛ぶりだ。「食べログ」などで話題になっている大将の応対はなるほど気持ちが良い。ちなみにドヤ(山谷)に立地していながら、いちにんとしてその手の客を見かけない。

Kの細君、Mさんとはほんとうに久しぶりで、前回がいつどこで会ったのか思い出せないくらいなのだが、眼鏡をかけていること以外、髪型さえほとんど変わっていなかった。こちらはでっぷりとして頭髪も後退しており、会って早々、腹を触られるもてなしを受けた。中国語でこう答えてもよかったろう。「你为什么摸我的肚子呢?」。

f:id:guangtailang:20180616215558j:image今回も本を持って来てくれたK。さらには、若気の至りと言えば言えるが、僕が8年前と14年前に夫妻に送りつけた手紙と数枚のL判写真まで持参していた。よくもまあ蕪雑なものを保管してくれていたものだ。それらを眺めながら、今や羞恥よりも懐旧の念がしみじみと湧いてきたのだった。

『詩人調査』を手にするKだが、実のところ、詩はあまり読まないのだという。彼の考えでは、長編小説こそが言語藝術の最高峰に位置するらしい。その発言を横で聞いていたMさんが、だけどあなたはそんなに長編小説読んでないでしょ、と指摘する。少し狼狽えるK。なにせMさんは詩も読むし、『失われた時を求めて』や『白鯨』、『神聖喜劇』を読破しているひとなのだ。いや、〇〇とか△△は読んでるよ、と脣を尖らせるK。大学時代から、✖✖はクソだ、といった具合に小気味よい断言調を得意とするKであったが、守勢にまわると可愛いらしい男だ。

f:id:guangtailang:20180616215611j:image北千住駅東口の昭和大箱喫茶、サンローゼが閉店してしまったのは地上の悲しい光景のひとつだが、西口の商業ビルの脇にひっそりとこんな喫茶もあるので、北千住はまだ捨てたものじゃない。見よ、ピンクの置き電話を!

午後2時に呑み始めたからして、入店して昭和年代にタイムスリップしたのはまだ午後6時くらいだったろう。真ん中をテープで補修したソファに躰を沈め、こちらでは映画の話になって、Mさんが『ペンタゴン・ペーパーズ』を称讃し、Kが『万引き家族』を酷評する一幕があった。シネフィル的な物言いをしたくはないが、是枝は決定的な画が撮れない、と。僕は先日観た『それから』について語った。登場人物に「感情移入」できないという理由で、その創作物を駄作とみなす態度はわからない、そこは3人で意見の一致をみた。また、お手軽なカタルシスはいかがわしい、というようなことも言い合った。店の雰囲気も影響したかも知れないが、3人がまだ若かった頃、古書街の喫茶の片隅でやはりこのような会話がなされたという感覚に一瞬襲われた(勿論、当時挙がった映画はそれぞれ別のものだが)。その頃は年齢なりに斜に構えて、たとえば富士山や東京タワーは敢えて外すとか端に置くというスタンスもあったろうが、今ではそれぞれに齢を重ね、真正面に富士山やスカイツリーを入れてもいいのかも知れない。ただ、それとても表層的なことで、ひとの基底は変わらないものなのだな。午後7時半を廻った頃、常磐線に乗って、僕が先に降りた。結局、雨は降らずに持ち堪えた。

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