川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

『ジャンプ』

f:id:guangtailang:20180405090738j:image愛している女がある日、りんごを買ってくると言って出かけたきり男の前からいなくなり、音信も途絶える。男はしゃにむに捜索を始め、手がかりはぽつぽつ見つかりはするものの、女の居場所までは辿り着けず、なぜ自分の前から女がいなくなったのかその理由も一向にわからず、懊悩する。そんな男を陰でみつめているもうひとりの女がいる。

2004年公開のこの映画で、男・三谷を原田泰造、女・みはるを笛木優子、そして、もうひとりの女・鈴乃木を牧瀬里穂が演じている。先日、同じ竹下監督、同じ原田主演の『ミッドナイト・バス』(2018)を観た身としては、またふたりの美麗な女のあいだで揺れ動く優柔不断な男の構図かよ、とにやにやしたりもする。

三谷はそれなりに仕事ができ、実直なサラリーマンにみえる。原田が抑制された表情のなかに懊悩や悲哀を滲ませてうまい。みはるは前述のような具合で、基本的に映画の冒頭と終盤にしか出てこないが、こういう人はある日突然失踪してしまうかもなあと思わせる、どこか儚げで安定しない雰囲気が笛木にはある。鈴乃木はいわゆるキャリアウーマンで、妙にはきはきと喋る。この映画では九州という土地が重要なので、博多出身の彼女で決して悪くない。

ここから【ネタばれ】になりますが、

三谷はみはるを愛しているが、みはるは「三谷さん」と呼びかけ、さらには線路沿いのキスの時、逡巡をみせ、自分に自信が無いと言うように、三谷の愛に応えるほどの愛を持っていない。だから、鈴乃木の三谷に対する真剣な「愛の手紙」を読んだ時、三谷の相手は自分ではないと完全に気づかされる。そもそも自分のこれからの生き方に惑いを抱いていたみはるはこの手紙に後押しされるように、三谷の前から消えた(鈴乃木の前でも手紙を何度も読んだと言っている)。

一方、鈴乃木は三谷の愛を獲得すべく、ある場合にはマキャヴェリズムさえ行使して(三谷から渡された企画書を握り潰す)、最終的には見事自分の望みを実現する。こう書くと鈴乃木は酷い女ともとれるが、鈴乃木の三谷へ注ぐ愛がそれだけ真剣な証左でもあり、私などはすがすがしさを感じてしまう(彼女は会社で手腕を発揮していながら、三谷と結婚するとすぱっと退社してしまう)。

終盤、みはるの失踪から5年が経過して、ひょんなことから三谷は彼女の居場所を知ることとなる。伊万里まで行き、三谷はみはると再会する。この時、三谷はかつて派出所の警官も言っていた、日本全国で年間10万人の失踪者がいる、と一般統計を口にする。これは要するに、三谷はすでにみはるを自分にとって「特殊な個の失踪者」としてみていない、みることはもう断念したのだ、という風に受け取れる。あるいはまた、結局、おれにはおまえという人間が理解できない、という風にも。三谷には早苗(旧姓鈴乃木早苗)という妻と一人娘がいる。別れ際にりんごをふたつ買ってくれたみはるに、三谷は問いかける。あの朝、おれが出張など行かずにきみの帰りを待っていたら、運命は変わっていたか、と。みはるは答える。それでもやっぱり、わたしはここに来ていたと思う。三谷はおそらく、そういう答えが返ってくるだろうと予期していたと思う。ふたりは握手を交わして別れる。そうして、駅のプラットフォームで三谷はひとりりんごを噛る。

個人的な経験から言うのだが、みはるのような女を男はどうすることもできない。去られたら、もう諦めるしかない。かつて私も女を追いかけて懊悩し、寝つけず、ストレスから手指がずるずるに荒れたことがある。映画を観ながら、そのことを思い出していた。

部屋の本棚に原作者佐藤正午の『リボルバー』があり、あ、藤田敏八の遺作と思った。監督竹下昌男は映画『リボルバー』製作の時、助監督をしていたらしい。『ジャンプ』と『ミッドナイト・バス』のあいだに14年近い年月が流れているが、どちらも丁寧に情緒を積み重ねていく、落ち着いた日本映画で、懐かしい感じもあるし、私は好きである。