川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

「空の怪物アグイー」

長篇小説は繰り返し読んだりほとんどしないが、50頁くらいの短篇小説で2回、気に入って8回くらい読んだやつはある。最初学生の頃に読んで、その後忘却していた小説を何かのきっかけで想起し、本棚の奥から文庫本を引っ張り出してきて、働くおっさんになって再び読む。たとえば何年か前の中島敦の小説がそうだった。今日はふと思いついて、大江健三郎の「空の怪物アグイー」(1964)を読んだ。2回目か3回目で、以前は大学生の時に読んだ。だから相当あいだが空いているのだが、またも圧倒された。 やはり天才は色褪せないものなのだ。

「空の怪物アグイー」を私が知ったのは、大学1年生の春にあったオリエンテーションの時だ。たしか泊まりがけで山中湖方面の大学施設に行ったのだった。夜も更けて、広くもない和室に布団が敷き詰められ、どうゆう経緯だったか、美術評論家のT教授が掛け布団の上に胡座をかいて座り、たばこの煙を燻らしながら(彼はヘヴィースモーカーだった)、あまり聞き取りやすくもない声で、現代美術の話、たぶんアンディ・ウォーホルか何かについて訥々と喋っていた。しかし、その語彙の選択や比喩は部屋にいた数人の大学1年生を魅了するに十分で、皆真剣に聞き入っていた。話が一段落したところで、1年生のひとりだった私が、「先生のいちばん好きな小説は何ですか?」とやや小便臭い質問をした。T教授が考えるように少し唸って首を傾げると、地肌の透けて見える頭頂部が部屋の灯りに照らされた。「大江健三郎の空の怪物アグイーは、読んでごらん」。そう言うと、たばこを咥えた。あらすじについても多少喋ったかも知れないが、とりあえず読んでごらんという感じだった。つづいて1年生の女子が別の小説家(村上春樹?)について質問したので、アグイーについてはそれで終わりだった。

私はその後すぐに新潮文庫を買って読んだと思うのだが、それは実家にあって、同じものを買い直すのもあれなので、この岩波文庫の《自選短篇》に所収されていてよかった。

ちなみに書いていて思い出したが、T教授はウォーホルの『ブロウ・ジョブ』(1963)について喋っていた。f:id:guangtailang:20180403031439j:image