川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

少年期

シンクに溜まっていた食器を私は洗い始めた。この位置から映像は見られないのだが、リビングにあるテレビでは平昌五輪の番組を流しっぱなしにしてある。水道の音にほとんどかき消されそうになりながら、興奮した実況アナウンサーの声がかすかに聞こえてくる時があった。何を喋っているかまではわからない。私はぼんやりとして、漫然と手を動かしていた。と、ふいに蘇ってくる記憶があった。高校二年生の私が、下町のハンバーグレストランでアルバイトをしていた頃のことだ。その時、私は厨房の片隅にあるシンクの前に立ち、やはり食器を洗っていた。そのシンクは業務用なのでかなり大きなものだったし、汚れた皿もすごい数あったと思う。何か考えごとをしていたのだろう、私はぼんやりとして、漫然と手を動かしていた。すると、横にぬっと人が立って、私からスポンジを奪い取ると凄い速さで皿を次から次にこすり始めた。その人は普段から料理を担当している、白衣にコック帽のおじさんだった。今思えば、現在の私と同じくらいの年齢だったかも知れない。彼は一言も発さなかった。ただ真剣な表情で皿をこすっていた。そのさまを今でも鮮やかに憶えている。私は「すいません、すいません」と謝り、スポンジを返してもらうと、先ほどに倍する速度と力強さで皿をこすった。

この「皿洗いの記憶」の想起は、ある程度年齢を重ねてから、不思議に今まで何度かある。そして必ず、妙な強度のまま次の想起に繋がっていくのだ。それはやはり高校生の頃にやったアルバイトで、こちらは1日だけだったが、引っ越し屋の手伝いだ。同じクラスにいた在日のKくんがたしか見つけてきたもので、彼と私とあと3、4人でかたまって行ったのだと思う。あれは土曜日の午後だったか、詳細は忘れてしまったが、下町の昭和然とした引っ越し会社の事務所に赴き、仕事の前に簡単な書類に署名させられた。年齢を書く欄もあって、申し合わせていたような気もするが、皆サバを読んで大学生の年齢を書き入れた。特に追及もされなかった。仕事は小さな事務所ビル1棟の引っ越しで、結構長い時間かかってやったような気がする。終わった頃には髪が額にくっつくほど汗だくだった。くたくたになって引っ越し会社の事務所に戻り、日当をもらう段になった時、饐えた臭いを発した社長が、「おまえら、高校生だろう?」と言った。それで日当がもらえないとか、安くなったということもなく、皆ちゃんともらえた。

はっきり思い出せないのは往復の移動手段と、あの日のわれわれの恰好だ。移動はきっとライトバンだかに乗せられたのだろう。ふた組に分散してトラックの助手席に乗ったやつもいたような気がする。そして、恰好はまさか高校の制服(ブレザー)というわけもないだろうが、なんとなく私自身は白シャツと制服のズボン、ローファーで行ったような気がするのだ。白シャツを腕まくりしてモノを運ぶ映像が浮かんでくる。とすると他のクラスメイトもそうだったのではないか。それで年齢を詐称したのだとしたら、実に間の抜けた話ではないか。しかし、男子高校生などそんなものかも知れない。行き帰りの車内で会話もしたろうが、高校生と大学生の会話の違いなど大人なら容易に判別がついただろう。