2009年4月29日、越後長岡、人口28万(当時)。新幹線が停まるからして駅はなかなか立派。この時はまだスカイデッキが無いのだな。アオーレ長岡も工事中か。冬ともなればこの一帯は重い雪に覆われる。道路の雪は消雪パイプ(長岡発祥)で融かすのだが、そのせいで赤茶けた跡が残る。豪雪地帯の苦労である。
長州藩士たちもこんな気候の違う地方に戦いに来て、北越の小藩ごときたやすく恭順するだろうと考えていたのが、思わぬ苦戦を強いられさぞ驚いたことだろう。その長岡藩の中心に河井継之助がいた。
河井の代名詞、ガトリングガン。Wikipedia曰く、「コストパフォーマンスの悪い結果で終わった」。
凄まじく赤錆びた道路。
長岡駅前の居酒屋いさり火。これはたぶん季節が違うのだけど、せっかくだから加えた。
ハイブ長岡にある米百俵の群像。全部で12体、平均1トンあるという。座ったまま右手を挙げ、必死に他の藩士を制している髭面が小林虎三郎である。
小泉純一郎元首相がかつて所信表明演説のなかで「米百俵」の逸話を取り上げ、その時はけっこう話題にもなった。その逸話の男が隻眼の小林虎三郎である。
北越戦争で長岡は焦土と化し、河井継之助は死んだ。その長岡の復興を託された人物こそ、佐久間象山門下で吉田松陰とともに「両虎」と謳われ、河井継之助のライバルでもあった小林虎三郎である。