川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

経緯書(部分)

2013年1月12日

お見合いのため、ハルピンへ渡航する。市内のホテルで三人の女性と面会し、話した印象が明朗で、年齢の若い、日本の文化習慣にも早く順応できそうなひとりの女性に結婚を申し込む。彼女は日本のアニメや漫画が好きだと言う。

彼女(以下、X君)も私との結婚を承諾してくれた。その後、X君の実家の方正県から市内に来ていたご両親、親戚の方々と昼食を食べる。円卓を囲み、ご挨拶。

翌日はX君、現地スタッフと羊肉串(ヤンロウチュアン)など中国東北料理を食べ、暗くなってから有名なハルピン氷祭りに繰り出す。極寒なので、日本ではしたことがないほど重ね着する。外気に凍えながらも壮麗な光景を堪能。

 

1月14日

帰国。X君とメール及び微信(ウェイシン)でやりとりする。曲がりなりにも中国語学校に通っているため、なんとか中国語で意思疎通が可能。

 

2月16日

東京からハルピンへの直行便がないため、新幹線で新潟へ移動する。新潟泊。

 

2月17日

ハルピンへ渡航。悪天候のため、乗っている中国南方航空がしばらく着陸できず、到着が遅れる。X君、現地スタッフが辛抱強くロビーで待っていてくれた。まだまだ極寒のハルピンなので、市内で火鍋を食べて温まる。曇りガラス越しに街路の滲むネオンを眺める。

 

2月18日

朝から現地スタッフの運転でX君の実家方正県へ向かう。車窓からはどこまでも果てない雪原が見える。日本では北海道でしか拝めない広がりだ。春節の終りかけの時期で、実家ではX君の両親や親戚の方々が私たちのために手料理を作って待っている。到着すると早速歓待を受けて、白酒の回し飲み。中国東北料理に舌鼓を打つが、帰りの車中で私はグロッキー。それでも夕日が非常に美しかった。

 

2月19日

天気が良かったのでX君、現地スタッフとハルピン市内を観光。スターリン公園、凍結した松花江、中央大街。夕方にはX君とふたりでドラゴンタワーに昇り、展望レストランで夕食を食べる。X君は感冒気味だったが、私が心地良く過ごせるよう、精一杯気を使ってくれていた。

 

2月20日

帰国。乗った中国南方航空が悪天候のため新潟ではなく成田へ臨時的に着陸する。機内で長い時間待たされたあげく、また新潟まで引き返す。新幹線に乗って上野へ。心身ともに疲労困憊し、帰宅後ベッドに倒れ込む。

 

3月17日

私、両親とハルピンへ渡航。実際にX君、X君のご両親と対面したいという私の両親の希望。母親がバスタブ有のホテルをお願いしたため、比較的高級なホテルへ宿泊。

 

3月18日

両親はハルピンが初めてのため、市内観光。以前から話題に出ていたが、X君がいよいよビンツァイ日本語学校へ通い始めると聞き、嬉しく思う。ハルピンの寒さも一月二月と比べるとだいぶ緩む。

昼食は高級な海鮮レストランで。両親とX君の両親が初対面。和やかな雰囲気で時間は進み、私も一安心。

 

3月19日

両親はふたりで市内を散歩したいと言い、別行動。X君、私、現地スタッフで廟へ行き、その後、水煮魚など四川料理を味わう。夕食は羊肉串など中国東北料理を現地スタッフがご馳走してくれる。

 

3月20日

帰国。両親が体調を崩す。朝一の便のため、帰国も危ぶまれたが、現地スタッフが漢方薬を買いに走ったり尽力してくれたため、なんとか帰国の途に就く。

 

6月20日

新潟泊。今回はいよいよ結婚式を挙げるため渡航するので、万端の準備を整える。

 

6月21日

ハルピンへ渡航。離れている時期のメールのやりとりを通じてある程度認識していたが、X君は片言の日本語が話せるようになっていた。夕方に食べた香瓜(マクワウリ)は私の好物となった。

 

6月22日

ハルピン極地館、中国東北料理、水煮魚など、X君と終日デートを楽しむ。

 

6月23日

現地スタッフの計らいで太陽島にてBBQ。羊肉串の食べ過ぎ、ハルピンビールの飲み過ぎで腹が膨らんでしまい、明日が結婚式なので夕食は抜き。

 

6月24日

結婚式当日。ハルピン市国際結婚登記所へ赴き、婚姻の手続き。結婚指輪も購入。思いのほか時間がかかり、すでに式場にいる皆様を待たせてしまう。

いよいよ結婚式が始まる。X君のご両親、親族、現地スタッフ、総勢20数名が参加。日本人は私ひとりで緊張してしまう。しかし、三十七歳の男として、妻の幸福のためにやるべきことをお伝えし、想いは皆様に伝わったと思う。

その後、結婚記念撮影を写真スタジオにて行う。

 

6月25日

市内観光。夏の中央大街。ここに来るたびに食べる棒アイスを今回も食べる。昼食はハルピン名物、春餅。ショッピング。X君が踵の高い靴で歩き続け足が痛いというので、スニーカーを買う。カラオケ。

 

6月26日

帰国。日本に着いてから、X君と頻繁に連絡を取り合っているが、日本語は日々上達しているようだ。X君は若いし、順応性があるので、来日してしばらくすれば日本の文化習慣にも適応し、X君の日本語力が私の中国語力を軽々と追い抜くことだろう。

そんな光景を想像しながら、日々過ごしている。

 

2014年10月10日

〇〇〇様

 

离婚届和离婚协议书各两封附上。

第一通请尽量不要搞错记录下来寄给我,

剩下的另一封你自己保管好。

协议书的内容让辩护士确认,对你我都没有不利的条件。

圆满的离婚,各自走向新的未来吧!

            

                 〇〇〇〇〇                     

 2017年8月1日

北方人(ベイファンレン)X君との結婚生活は約一年で破綻し、現在は南方人(ナンファンレン)Hさんと結婚生活を送っている。

上述の経緯を人が読めば、愚かしいやつがいるもんだと誰もが嗤うと思う。たしかに支払った代償は大きい。しかしながら、人生を危険に晒したがゆえに、傍観的には把握することのない、主体的な経験を手にはしたと思う。また、そう思わなきゃやっていられない。

ここ二年は安穏に生活している。また北へ行ってもよい頃だ。無論、観光で。