川、照り映え

隅田川沿いに住む壮年が綴る身辺雑記

信越

長岡2

19日付「長岡」で、花火の際、デジカメをバッグにしまったと書いたが、実際には数枚撮っていた。こんな電線で邪魔されていたんだな。あと、天ぷらとそばの定食も撮っていた。2009年8月2日。

長岡

2010年1月16日、長岡。河井継之助を知るより先に新潟の女との出会いがあった。東京で知り合った。彼女の実家は魚沼丘陵のどこかで、最寄駅は浦佐だと言っていた。 ある夏に長岡の花火を一緒に見に行った。勿論彼女は長岡に何度も来たことがあり、水を得た魚…

朝日山古戦場

新潟県小千谷市、朝日山古戦場。1868年、河井継之助と岩村精一郎の会談決裂後、開始された北越戦争の激戦地。ここの攻防戦で奇兵隊参謀時山直八が戦死した(享年31歳)。雨中の戦いだったという。殊勲を立てたのは桑名藩の雷神隊を率いた立見鑑三郎(尚文)…

湖畔でキッチュ

2016年5月、北佐久郡立科町女神湖。湖面標高1,540m。元は赤沼という溜池だった。蓼科山の別名にちなんで女神湖と名付けられたという。先行して開発された附近の白樺湖と比べると俗化されていないし、規模が小さいので静かな湖だ。 Hさんと高原の朝の散歩をし…

アルプの里

南魚沼郡湯沢町アルプの里。ここは男一人で行くのもなんな場所なので、初めて行った時もHさんとふたりだったろう。越後湯沢の駅から歩いていけるロープウェイ乗り場(山麓駅)は実にアクセスが良い。そこから標高1000mのパノラマステーション(山頂駅)まで…

高見石

2016年9月17日、白駒池(標高2,115ⅿ)。高見石から望む白駒池。この日は湿り気を帯びたガスが漂い天候は良くないのだが、それはそれで雰囲気のある風景。原生林は苔の王国。高見石小屋でカレーライスを食った。隣りのテーブルにお洒落な山ガールがいて、きの…

鯨波海岸

赤松の林をこえて、 くらきおほなみはとほく光つてゐた、 このさびしき越後の海岸、 しばしはなにを祈るこころぞ、 ひとり夕餉ををはりて、 海水旅館の居間に灯を點ず。 くぢら浪海岸にて 萩原朔太郎『月に吠える』より「海水旅館」

ドッペル、ハルピン

2009年9月21日、新潟駅南口。数年後ここから新潟空港行リムジンバスに乗って何遍もハルピンへ飛ぶことになろうとはゆめ思わなかった。 同じ日にどっぺり坂も撮っている。日本海もすぐの場所だ。【坂上に旧制新潟高校の寮があり、この坂を下って街に遊びに行…

イマ、イナ

午前6時、雲間から日が差している。 午前7時、散歩に出る。雲が空を圧してきた。 午前9時、真っ白になり、どしゃ降り。 午前10時、もちぱいを購入。外はさくさくのパイ生地、中はもっちりの餅である。まことに逸品だが、いかんせん日持ちしない。 午前11時、…

飯田の月下美人

飯田市遠望。威風堂々の追手町小学校(現在も使用している)。慎ましやかな飯田夜景。宿の月下美人が今夜ひらいた。

天竜舟下り

安曇野では猿も出ない雨模様だったが、高速を走って南信に入ると青空が広がった。私はにんまりした。 昨日の天竜舟下りが降雨による水位の上昇で欠航になり不安を覚えていたが、これならやるだろう。舟下りがなければ、今回の旅のメインイヴェントが欠けると…

善光寺平

善光寺平の上空に重く垂れ込める雲。降ったり止んだり。 今日の宿は山の上にあるが、ガスがかかって深山幽谷のような景色をみせている。部屋の前のガラスに綺麗な蛾が張り付いていた。 明日はせめて雨降らないでほしい。

小千谷談判

小千谷市慈眼寺。慶応4年(1868年)、薩長を主力とする新政府軍は長岡にほど近い小千谷を占領した。長岡藩の門閥家老たちが次々と恭順を主張する中、5月2日、河井継之助は長岡への侵攻の中止と独立特行を主張するべく慈眼寺で新政府軍との会談を行う。 会談…

レインボータワー

2009年9月、新潟市。2012年2月で営業を終了したレインボータワーからの眺望。そういう意味では貴重な写真。遠景に日本海が見えるのが良い。 寄居浜の砂丘まで歩いて、坂口安吾の「ふるさとは語ることなし」という碑文を見たのもこの時だった。私ならこうなる…

北狄の名は

2009年9月、尖閣湾。佐渡市北狄。この時乗った遊覧船が岩礁のあいだで揺れに揺れて、そのスリルに身を任せた。 北狄という地名は、東夷北狄西戎南蛮と何か関係があるんだろうか。 穀倉地帯。